カート・コバーンの生き方
著者はカートコバーンが大好きだ。
ロックとはエンターテイメントであるという正しさを生き方で否定したからだ。
いや、死に方で在り方を示したのである。
ジョン・レノンの死も、全世界に深い悲しみを与えた。しかしそこには「驚き」や「悲しみ」はあっても、その死は単なる「不幸な死」である。しかし、カート・コバーンの自殺は80年代ロック正しさに対して真っ向から否定。
「自分だってみんなに嘘をつくのは嫌だ。ただの一人も騙したくない。自分が考える最も重い罪とは、100%楽しいのだと嘘をつき、ふりをして、人を騙すこと」
といった言葉に如実に表れている、純粋主義である。
衝撃的なデビュー・アルバムと、エキセントリックな言動で大衆的成功を収めたカート・コバーン。しかし、それは自分が自分らしくいられなくなることでもあった。
92年には女優で歌手でもあるコートニー・ラブと結婚し「90年代のシド・アンド・ナンシー」と持て囃される。
こういう騒がれる事が分かり切っている、確信的な行動をしておきながら、彼はプライバシーの欠如や、マスコミが報道する無数のゴシップに怒り狂った。
その怒りと苦悩は93年発表のセカンド・アルバム「イン・ユーテロ」に詰め込まれた。
これが前作よりも過激で、内向的で、絶望的で、本人曰く「売れないように作った」という程の、怒りに満ち満ちた問題作だったにも関わらず、またもや全米ナンバー・ワンを獲得。ますますスター街道一直線だ。
売れたくないのに、スターにはなりたくないのに、世間は騒がしたい、注目されたい・・・。
自己矛盾とジレンマに陥った彼はドラッグに溺れ出し、その行動も痛々しいほど不可解になっていった。
そして94年の3月、鎮静剤の過剰摂取で入院するが、脱走。同年4月、自宅で猟銃自殺を遂げる。
「パンク・ロックの意味するものは、自由であって然るべきなんだ。
自分の好みのものを片っ端から好きになって、受け入れる。何でも好きなものを、好きなだけ下手に演奏する。いいもので、情熱が感じられればそれでいいのさ」
「偽りの自分を愛されるより、ありのままの自分を憎まれる方がいい」
「売れたいが、売れるような曲は大嫌い。」
「学んだことを基準に、人について判断してはいけないことを知ったよ。俺には何も判断する権利はないんだ。それが俺の学んだ教訓さ。」
「他の誰かになりたがることは、自分らしさの無駄遣いだ」
「俺は常に物事を疑ってみることを知っていた。人生を通してほとんどの歴史の本とかに書いてあることや、学校で習うことを信じたことはないんだ。」
Nirvana - Smells Like Teen Spirit
正しさより楽しさへの追求の旅は続く…