クリエイティブな仕事がしたいなら福祉業界
「ポジティブ福祉」が始まる
「福祉」という言葉を聞いて、どんなイメージが浮かびますか?
「人のためにやっていて、すごい」、「たいへんそう」、「重労働」…ほかにもあると思いますが、「楽しそう」というイメージは、なかなかそう簡単には出てこないのではないでしょうか。著者も恥ずかしながらそう思っていました。この活動に出会うまでは・・
楽しさを追求しているNPO法人Ubdobe。
人を扱う仕事なだけに「まじめ」、「固い」といった印象もある医療福祉業界。クラブイベントやトークイベント、体験型イベントを主催し、これらを通じて、医療福祉従事者だけでなく、福祉に興味がない人たちにも福祉を楽しく、かっこよく身近に感じられる活動を精力的に行って旋風を巻き起こし続ける代表理事の岡さんに注目しました。
岡勇樹(おか・ゆうき)/
1981年 東京生まれ。3歳から11歳までアメリカ・カリフォルニア州サンフランシスコで生活。帰国後、15歳でDJとドラムを始め、19歳でディジュリドゥという民族楽器の演奏を始める。20歳でストリートパフォーマンス集団「ウブドべ共和国」をつくり、活動開始。21歳で母親をがんで亡くし、人生観を根底から覆される。 その後リラクゼーション業界の現場スタッフ/エリアマネージャー/店舗開発営業として日本全国47都道府県すべてを回る。26歳で退社し、音楽療法の学校に通いながら高齢者介護や障がい者移動支援の仕事を始め、「Ubdobe」を立ち上げる。29歳で医療福祉・音楽・アートを融合させた「NPO法人Ubdobe」を設立し、代表理事に就任。30歳でリラクゼーションセラピスト集団「Unplug Tokyo」を設立。31歳で音楽レーベル「ONE ON ONE LABEL」を設立。33歳で「株式会社ビーンズ」の取締役に就任し、ニューヨークでの訪問介護事業所設立に向けて奮闘中。NHK出演を経て、厚生労働省の介護人材確保地域戦略会議の有識者に選任される。現在はグリー株式会社のプロジェクトであるPlatinumFactoryの「介護のほんねニュース」編集長も務める。
3Kのイメージを覆す福祉の魅力とは
これまで持たれがちな福祉のイメージは、3Kと呼ばれる「キツい」「汚い」「危険」といったネガティブなものでした。しかし本当にそうでしょうか?
彼は「福祉はクリエイティブな仕事」だと教えてくれます。もともと音楽が好きな岡さんは、その趣味を生かして福祉社会に何か反映できないかと考えました。音楽療法に出会ったことで彼は自分の道に確信を持ち、医療福祉・音楽・アートを融合させた「医療福祉エンターテインメント」の活動を行う「NPO法人Ubdobe」を立ち上げるに至りました。
福祉の新3Kは「かわいい」「かっこいい」「結構おもろい」であるとおっしゃっています。
「もともと僕はショートステイ等、高齢者施設で働いていたんですが、最終的には訪問介護の職に就きました。そこで会えるおばあちゃんが、とってもかわいいんですよね。認知症で暴言吐いたりもするんですけど、通っていくうちに打ち解けて、ふとした時に笑顔を見せてくれるようになるんです。
次に『かっこいい』ですが、戦争経験など僕らが経験したことのない話をしてもらえることもあり、その体験を乗り越えてきた方たちをかっこいいと思うし、自然と敬う気持ちが生まれました。また、年配の方に共通しているのが、死を意識して生きているということなんです。僕らってなかなか普段、死生観を持って日々の生活を送らないじゃないですか? 年配の方たちを見ていると、それぞれに覚悟を感じるんですよね。
最後に、『結構おもろい』なんですけど、これは僕の希望として、そんなに介護を重く捉えないでほしいんです。こういってしまうと同業界の人に『甘くみるな』と怒られてしまうんですけど。
僕はもともと福祉に全然興味がなかったんですよ。でもふとしたきっかけで介護のアルバイトを経験したことで、イメージが変わりました。だから、あまり重い言葉にして入り口を狭めたくないんですよね。まずは軽い気持ち、楽しむくらいの気持ちで体験してみてほしいです。介護って皆さんが思うよりもとっても身近なんです」
交流も幅広い・・
先日、ファーストレディ安倍昭恵さんと乾杯した件。http://t.co/ScaAGJktmQ pic.twitter.com/0UpDAzNqEZ
— 岡勇樹 (@UQ_Ubdobe) 2015年4月21日
「障がい」は、単にスケールの差の話。面白い人たちはたくさんいる。
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見結びつかないような「音楽」や「アート」を使って「医療福祉」にアプローチしている理由は単純です。「音楽×アート×医療福祉」、この3つのツールを軸に僕たちが活動しているのは、だって音楽もアートも医療福祉も、面白いから。
単純にそれだけなんです。僕自身「福祉」とか「介護」に最初からものすごく興味があったわけじゃないんです。ただ、小さい頃から戦争だったり差別だったり、同じ人類なのに不当に扱われる人たちがいることにはいつも腹が立っていました。僕は訪問介護と障がい児移動支援を6年間やっていたんですが、そのなかで出会った人たちが、みんなほんとにファンキーで面白い人たちばっかりだったんですよ(笑)。
でも、世間ではただ障がいがあるという理由で、行きたいお店に入れなかったり、やりたいことができなかったり、外出自体できなかったり、制限が多い。「何だよこれ、クソだな」って思うことを、彼らと一緒に変えていきたいんです。音楽やアートを通じて、一般市民の方に対しても国に対しても、現状を変えるために発信していきたいし、闘っていきたいと思っています。
面白いことならみんなついてくるし真剣になる
「SOCiAL FUNK!」は医療や福祉に興味がない若者たちにきっかけと気づきを与えいい意味の「摩擦」を生むプロジェクト
【SOCiAL FUNK! 2015 spring】~Organ Donor~「THE Six SENSE」は遊び・アートなどを通して福祉を知るきっかけ作りをするプロジェクト
THE Six SENSE 〜医療福祉系シミュレーションゲーム〜THE UNIVERSE〜DayLight〜とは、陽が昇り沈むまで、ただ1日を生き抜く「ある人の1日」を切り取り、その日常生活をダンスや音楽を通して表現する。観客を一瞬にしてあたたかくやわらかな世界へと引き込み、誰だって持っている個性」や「価値」、「可能性」を再確認させてくれるプロジェクト
正しさより楽しさの追求へ
自分の活動はまだまだ物足りないと感じています。今年の目標は全国に世界一おもしろい拠点をつくることです。そこは若者も高齢者も障害者も誰でも自由に通えて、好きなことができて、色々な人がぐちゃぐちゃになって遊べる。そこがその人たちの居場所になっていってほしい。拠点づくりが落ち着いたら、海外の福祉にも目を向けて、カンボジアやタイ、幼少期を過ごした北米などで何かはじめてみたいです。
もし、介護の仕事で無理をしている人がいたら、無理をしすぎて二度とやりたくない仕事になってしまうよりは、自分に合う職場を探す旅をするのもいいと思います。それが福祉の職場でなくても、自分が楽しめる環境であれば、それでいいと思います。興味の有無に関わらず、福祉は自分次第でおもしろくなるということは皆に伝えていきたいです。自分の接し方や考え方で相手の人生を変えたりできるのは、他の仕事にはない魅力だと思っています。
著者が思う正しさより楽しさを体現している岡さんとNPO法人Ubdobeの今後の活動にますます目が離せません。
岡勇樹の1日に密着① Maggie's tokyo first day festival編
岡勇樹の1日に密着③ さらけ出すことで得たもの。成田空港後編正しさより楽しさの追求の旅は続く・・・
意志をもって生きる人を増やしたい‐山川咲
人生が変わるほどの結婚式をしよう
「意志をもって生きる人を増やしたい」という想いを胸に、業界経験ゼロから起業し、「完全オーダーメイド」の結婚式を提供。そのクリエイティビティの高さや、ビジネスモデルが話題となっている『crazy wedding』代表の山川咲さん。
著者は山川咲の生き方に心震えた。
型にはまった「みんな同じ」ウェディングを抜けだして、二人にしか作り出せないクリエイティブで自由な結婚式をデザインする。
自分らしく
正しさより楽しさの追求
それが世の中ではcrazy。
なら山川咲の楽しさを追求することがcrazy weddnig。
そう感じさせてくれた。
【crazy wedding】"ONE LOVE My Earth My Home"
一般的にはオーダーメイドウエディングといわれる事業なのですが、私たちにとってはただのウエディングをするわけではなくて、もっと人の人生を変えるきっかけになるような時間をつくることを意識しているんです。
CRAZYWEDDINGにはユニークな制度も
年間1カ月の休暇が取れる「Great Journey制度」
CRAZYでは毎日、社員全員でランチを食べています。また、食事の準備も社員全員で行います。クレイジーにはダイニングチームという料理専門のチームがあり、毎日ランチをつくってくれます。
世の中のルールや、時代が行き着く先を変えたい
現在も、20世紀の経済至上主義の考え方で世の中が動いていると感じているのですが、私たちはそういうものを追求しても意味がないと考えています。そんなことよりも、個々人がきちんと暮らす場所を持てて、健康でいて、きちんと食事ができて、健全な人間関係を築いていける、つまり「生きる」ということの方がずっと大切だと思います。
このように人間的に生きることの価値を世の中に広げていきたいですね。
そして、山川咲はcrazy weddnigを辞める。
人気絶頂のなかいきなりの退職
「蓄えとか、安定とか、考えるのって楽な人生生きたかったらそれってありなのかもしれないけど、私楽な人生生きたいとは本当に思ってない。
結婚式の仕事もしてて、人の人生泣けるほどのドラマがあるなって確信しているからこそ自分の人生がどこまでドラマになるか
全部挑みきって死にたい。」
ただただかっこいい
現在、夫は株式会社CRAZY代表取締役社長で、CRAZY社は今後数多くの事業立ち上げに挑戦し、最終的には2000社100万人の雇用を生み出すことを宣言し、妻の山川咲は新たなビジネスに挑む
人間らしい生き方がしたいという人たちは、いま増えているように感じています。彼らは経済成長だけでは駄目。社会貢献だけでも違う。その真ん中がいいんです。
第3の解を求めているのです。
会社を大きくしなければいけないと思って事業をするのか、自分の人生をかけて事業をするのかは別です。これからCRAZYが立ち上げる事業は、一つひとつは小さくてもいい。10人とかで十分です。
でも彼らには志がある。楽しんでいる。それでいいんです。それを2000社つくりたい
新しい事業を立ち上げるときに、それが巨大なビジネスになるかという次元の話はほとんどしていません。
「楽しい」っていうことは、少なくともまずは自分が顧客の一人で、その時点で一定のマーケットがあるはずなんです。それだけで「はい、OK!」って感じです。
夫婦ともに正しさより楽しさを追求している。
正しさより楽しさへの追求の旅は続く
世界の異端児 大木武が考える日本サッカーの日本化
著者は大木サッカーが大好きだ。日本のサッカーの未来は大木サッカーだとも思っている
大木武(オオキ タケシ)
大木サッカーとは?
「即断」「即決」。――大木サッカーをひと言で表すならば、こんなふうに表現してみたい。
「日本代表が高度経済成長を成し遂げられた理由は、勤勉さとか言うわけでしょ。組織力がある、俊敏性だってスピードだってある。だったら戦術どうのこうの言うよりさ、そうしたところを生かしていこうよ」
「フィジカルで勝てない黒人選手に1対1でかなわなかったら1対2にすればいい。よく協会の話にコンタクトプレーに弱いって話になるけど、じゃ当てなきゃいいって発想にならないのかな?当たるくらいならパスで逃げろよと、そして逃げてもう一回受けろよと。そうすると簡単に答えがでてきちゃう気がするんだけどな。」
「長い距離を走れなければスモールスペースでやればいい。背が大きくないのでロングボールを蹴られたらやられるというなら、前からプレスをかければいい。簡単だと思うんだけどな、俺だけかな?、そんな単純に考えている奴は」
シンプルな考えだが、大胆でもある。
■大木サッカーの理論
大木式トータルフットボールは、守備から始まる。発動点はごくシンプルなので、その時点での「即断」は難しくはない。原理原則は、
“ボールの一番近くにいる者が、当たりにいく”
ということ。いわゆるボールへのアプローチ、ファーストコンタクト。その際、ポジションを崩しても構わない。2番目に近い人は、次を予測して「囲む」「奪う」または「受ける」ためのフォローに入る。空いたポジションは誰かが埋める。それを同時多発的に起こせば相手を常に先回りできるが、どこかが遅れるとズレが生じて守備に「穴」が空いてしまう。
そこでフォローの動きを有効にするため、守備の網は狭めてしまおう。奪ったボール持ち出すためにその網を伝ってポンポンとパスで繋いでいこう。――理論上はこれで「奪う→攻撃」がスムーズに連動してゆくことになる。実際上手くハマた時は、「次々に人が湧いてくる」(by岡山・影山雅永監督)状態を見せてくれた。
2012年5月20日第15節岡山戦後の影山監督コメント
「ただ、京都のボールポゼッションは素晴らしいですね。このリーグの中でも屈指、独特のポゼッションの仕方ですが、非常に流動的で、次々に人が湧いてくる、そして正確ということで、後手を踏んでしまう時間帯もあったかなと。」
大木語録
甲府・京都で監督を務めているときから名言を連発。多くのファンを虜にした。
「サッカーはエンターテイメントだ。」
「結果より大切なものがあるわけです。それは、いつも言うようにヴァンフォーレをみたらもう一度見たいと思ったり、ああサッカーっていいスポーツなんだなと思ったりしてくれることがやっぱり大きいと思うんですよ」
「ファッションは一瞬。スタイルは永遠。そのスタイルが出来つつある。」
「オシム監督は走るサッカーと言うが、われわれは2年前からやってきた。今はもう次の段階だ。チームも会社も迷っているヒマはない。決断し実行するだけだ」
岡田監督が惚れこみ日本代表のコーチに抜擢
日本代表の岡田監督が掲げるサッカーがどこから出てきたか?
「2002年のFIFAワールドカップでは、韓国が4位になっています。日本代表が同じように世界を驚かせるにはどうしたらいいのか。今までのように、欧州や南米の後ろを同じ方法で追いかけていては、近づくことは出来ても追い越すことは出来ません。追い越すためには別の道を行く必要があると感じています。これまで別の道はないと言われてきました。
(中略)
そうやって日本人の特徴、いいところを考えた時に、一つの言葉が浮かんできました。早稲田大学の先輩で、ラグビーの日本代表監督を務めたこともある大西鉄之裕さんが掲げた”接近・連続・展開”です。
(中略)
例えばディフェンスをする時に、身体が大きくてスピードのある相手を待ち受けていても、抑えることは出来ない。組織を作って待っているだけのディフェンスでは、とても耐えられない。だから”接近”する。相手に食らいついて、ボールがあるところに常にプレスをかける。そしてマイボールになったら、今度は相手とのコンタクトを避けて”人とボールを早く動かし”素早く”展開”する。この時に、1対1の勝負では恐らく勝てない。それならば、2対1、3対1の状況をあちこち作ればいい。そのために相手より早く、多く走る。こしたサッカーを何度も繰り返す。”連続”して仕掛けるのです。日本代表が世界で勝つための方法は”接近・展開・連続”だと考えています。」
ここで、このことを体現していたのが大木武監督だったのです。
現在はFC岐阜の監督
2017年、ついに大木武監督がJに戻ってきました。
ガンバ大阪よりパス成功率が高いFC岐阜。#jleague pic.twitter.com/6zgrAFBuVD
— サブリナおばけ (@stealth_yudy) 2017年2月26日
HEGの大木監督インタビュー pic.twitter.com/ldRus1fClu
— りん@FC岐阜&のうりんLOVE (@Rin01812) 2017年1月16日
「練習が終わる時間になっても、本当は練習をやめたくない。もっとサッカーをしていたいんだ。岐阜のサッカー、面白いだろ?」
日本サッカー協会の指針の正しさではなく、 大木武が考える日本サッカーの日本化を岐阜は体現している。
正しさより楽しさへの追求の旅は続く
自分らしくあれる社会
昨年の選挙で出会った男「三宅洋平」
三宅 洋平
ベルギー生まれ。(仮)ALBATRUSのボーカル・ギター。
早稲田大学卒業。元リクルート社員。2013年、「日本社会の価値観を多様にひらく」必要性を感じ、参議院選挙への立候補を表明。緑の党の推薦候補として、型破りな選挙活動「選挙フェス」を展開する。天性のカリスマ性と言語感覚で、多くの有権者の共感を呼び、比例区17万6970の個人得票(全候補中26番目)を得るも、落選。口癖は「ヤーマン」。http://www.aoyamabc.jp/event/miyake-tsuda-talk/
熱い、熱い、熱い。
とにかく熱い。
こんな街頭演説初めて聞いた。
政治とか宗教とか選挙とか押し付けるつもりはない。
けど、一人の男として魅力的。
「応援してます。髭剃ってください」
「応戦してます。だから、髪切ってください」
「応援してます。服、着てください」
「応援してます。靴履いてください」
3年経って三宅洋平、大きく成長しました。
今回、長ズボンです。
靴履いてます。
シャツ着てます。
なんだ、次は「ボタン閉めろ」か?
じゃ、俺が頭丸めて髭剃って、スーツ着て、全部の意見、受け入れたら、
誰なんだ、俺は。
そうやって、政治家にだけ、謎の下から目線で冷たい事言い果てて。言い放って。
そうやって作ってきたのがあの国会だよ。
「意見の違いはいろいろある」って。
当たり前だよ。
バーニー・サンダースと俺だって、意見ちがうよ。
あなたと100%意見が同じですなんてやつ、俺は信用しない。
それが多様な社会。
自分が自分らしくいれる社会。
それを作りたいから、俺はここに立ってる。
だけどね、俺は政治家になったって音楽諦めない。
だけど、俺はミュージシャンであったって、政治も諦めない。
多様な社会を作りたい。
多様な自分でありたい。
想像しようよ。
ビジョンを作ってこうよ。
押しつぶされずに、既存のイメージにさ。
「俺たちが作ってくんだ」っていう、自覚と自信を持ってほしいんだよ。
自分らしくあれる社会をつくりたい。
だからヒゲは剃らない。
髪も切らない。
窮屈な社会をつくるのは、
政治家を、そうやって吊り上げるみんなかもしれない。
今まで政治を冷たい目で見てきた俺たちが、
政治家を冷たいものにしてきたかもしれない。
愛が足りないんだよ、愛が。
恥ずかしがってる場合じゃないんだよ。
騙されたと思って観て欲しい。
20160623三宅洋平 選挙フェスDay2 JR高円寺駅北口 東京都選挙区 参議院選挙
正しさより楽しさへの追求する旅は続く
キリスト教が嫌いな牧師
著者はアーサーホーランドに魅力を感じている。
それは牧師なのにキリスト教が嫌いと公言しているからだ。そんな牧師聞いたことない。
ー青春時代は喧嘩と柔道に明け暮れて、宗教嫌いを公言する。人呼んで「不良牧師」ことアーサー・ホーランド氏。暴力、虐待、ドラッグ、引きこもりなど、多くの人々の人生の闇を受け止め、神の光を与えてきた。
「なぜ俺が宗教が嫌いなのか。
ユダヤ教徒たちは救いの主メシアを求めながら、目の前にメシアが来たのに、悪魔呼ばわりして十字架に磔(はりつけ)にし、イエスを殺してしまった。
結局、神は宗教に殺されたといえる。
人間はある境地を究めようとする時、皆人智を超えた大いなる存在(=神)を感じるようだ。芸術家も、研究者も、経営者も、大きな仕事を成し遂げた時、 “自分ではない大きな力を感じた”と言う。
俺が牧師として伝えたいのはそういうこと。信じているものが自分を魅力的にし、周囲を幸せにしていくものであればOKだけれども、逆に可能性を閉ざし、周囲に押し付けていくのは神の意思ではないと思うのだ」
人生に人生の意味を問うのではなく
人生のほうが俺たちに生きる意味を問うているんだ。
生きるとは、その理由を見つける責任がある。
You are loved. ~アーサー・ホーランド十字架行進~ ダイジェスト版 バージョン1
正しさより楽しさへの追求の旅は続く…
カート・コバーンの生き方
著者はカートコバーンが大好きだ。
ロックとはエンターテイメントであるという正しさを生き方で否定したからだ。
いや、死に方で在り方を示したのである。
ジョン・レノンの死も、全世界に深い悲しみを与えた。しかしそこには「驚き」や「悲しみ」はあっても、その死は単なる「不幸な死」である。しかし、カート・コバーンの自殺は80年代ロック正しさに対して真っ向から否定。
「自分だってみんなに嘘をつくのは嫌だ。ただの一人も騙したくない。自分が考える最も重い罪とは、100%楽しいのだと嘘をつき、ふりをして、人を騙すこと」
といった言葉に如実に表れている、純粋主義である。
衝撃的なデビュー・アルバムと、エキセントリックな言動で大衆的成功を収めたカート・コバーン。しかし、それは自分が自分らしくいられなくなることでもあった。
92年には女優で歌手でもあるコートニー・ラブと結婚し「90年代のシド・アンド・ナンシー」と持て囃される。
こういう騒がれる事が分かり切っている、確信的な行動をしておきながら、彼はプライバシーの欠如や、マスコミが報道する無数のゴシップに怒り狂った。
その怒りと苦悩は93年発表のセカンド・アルバム「イン・ユーテロ」に詰め込まれた。
これが前作よりも過激で、内向的で、絶望的で、本人曰く「売れないように作った」という程の、怒りに満ち満ちた問題作だったにも関わらず、またもや全米ナンバー・ワンを獲得。ますますスター街道一直線だ。
売れたくないのに、スターにはなりたくないのに、世間は騒がしたい、注目されたい・・・。
自己矛盾とジレンマに陥った彼はドラッグに溺れ出し、その行動も痛々しいほど不可解になっていった。
そして94年の3月、鎮静剤の過剰摂取で入院するが、脱走。同年4月、自宅で猟銃自殺を遂げる。
「パンク・ロックの意味するものは、自由であって然るべきなんだ。
自分の好みのものを片っ端から好きになって、受け入れる。何でも好きなものを、好きなだけ下手に演奏する。いいもので、情熱が感じられればそれでいいのさ」
「偽りの自分を愛されるより、ありのままの自分を憎まれる方がいい」
「売れたいが、売れるような曲は大嫌い。」
「学んだことを基準に、人について判断してはいけないことを知ったよ。俺には何も判断する権利はないんだ。それが俺の学んだ教訓さ。」
「他の誰かになりたがることは、自分らしさの無駄遣いだ」
「俺は常に物事を疑ってみることを知っていた。人生を通してほとんどの歴史の本とかに書いてあることや、学校で習うことを信じたことはないんだ。」
Nirvana - Smells Like Teen Spirit
正しさより楽しさへの追求の旅は続く…
正しさより楽しさ
正しさを追い求めると重くなる。
楽しさを追い求めると軽くなる。
多分、ひとの心を動かすものは「正しさ」よりも「楽しさ」だ。生き方に正解はないのだから、生き方に間違いもない。あまりにも「正しさ」にとらわれすぎてはいけないのだと思う。
何をするのが正しいのか、何をするのがいけないのか、それだけのことに縛られてしまう(正しさを求める)のではなく、わたしは「自分の中にある『楽しさ』」を信じて生きている。
もちろん、不安や恐怖を消し去るための行動が必要な時もあるのだろう。
しかし、自分の人生がそれだけになってしまうと、簡単にこころは乾いて生きる張り合いを見失ってしまう。
損か得か、有利か不利か、それだけで生きる道を選んでしまうと「自分の在り方がわかんなくなってしまう」
だから、やりたい仕事が見つからなかったり、何のために生きているのか見出せない若者が多いと思っている。
その結果が毎年10万人の自殺未遂者
もっと自分の心に向き合ってほしい。
「正しさ」を軸にして時々苦しくなることがあった。その正しさの正体は親の期待や世間体だったのかもしれない。
今は「楽しさ」を軸に生きられる。それは自分への信頼や期待が高まってることの表れだと信じている。
このblogを通して、読んでいる方々の存在価値、希望、生きている意味(生かされていること)を見出してもらえたらと思っています。
正しさより楽しさの追求の旅は続く…